「わくわくセンター追悼」

想えば1970年は 大阪万博に湧いた年であった

 

山田工場は10年 美濃工場は8年 犬山工場5

の操業を経過し 37歳の私は 資本力も満ち

情熱に燃えていた

 

日本で初めての レジャーセンターを創造する夢が熱くなり

13日発想 16日方針決意 3月土地入手 4月着工

12月に空港レジャーセンターは 

総額13億円を投じてオープンした

 

50レーンの空港ボウルを中心に 

男性女性サウナと喫茶 ビリヤード

そしてステーキのあさくま 中華のいわ園 

レストラン明治の一流店とゲーム 理容 美容と 

お好み焼き 寿司 うどん 麻雀と

多彩な店が集り 大繁盛となった

 

2年後 4億円を投じて ボーリング40レーン増設

パチンコ店 カラオケ店 本屋も入店したが

ボーリングブームは 空しく去った

 

オープン22年を経て 10億円投じて大改装を行った

わくわくボウルは オートスコアラーとなって再生し

リフレは あなたの別荘として再生し 

大カラオケ店もオープンしたが

大繁盛することなく 20年経過 近年赤字経営になるに至った

赤字渡るべからず と廃業し 新生を他社に委ねることにした

 

学び多きに 只感謝あるのみ ありがとう